2008.10.25 Sat
トピレックプラザの歴史 その2

今日はトピレックプラザの歴史 その2です。
その前に東西線のお話。。。
その前に東西線のお話。。。
この線は昭和39年に高田馬場〜九段下間で開業しました。
その後、西は中野まで伸び、東は竹橋まで、次に大手町まで
そして東陽町まで伸び、ついに昭和44年に東陽町〜西船橋間が
新たに開通(全線開業)し、「南砂町」駅が誕生しました。
その後、昭和48年「トピレックプラザの歴史 その1」で
ご紹介した東京製造所を閉鎖することになります。
日本経済の成長が鈍くなるとほぼ同時にゴルフブームや
ジョギングブームが起こり、スポーツやレクリエーションに
人々の関心が高まっていった当時、閉鎖した工場の17,000坪の
敷地(比較として東京ドームは約14,000坪)を利用して
昭和50年に総合スポーツ施設「トピレックプラザ」が
オープンしました。世の中の余暇、レジャーブームに乗り
大いに賑わったそうです。
(写真は昭和50年)

<クリックすると少し大きくなります>
この写真の左側を上下に入っている道これが
葛西橋通りです。
写真上部、現在ドイト、ラウンドワンがあるあたりに
野球場のようなものが見えると思うのですが、
ナント
これゴルフ練習場なんです!デカい!
そして下部に見えるテニスコート辺りには現在、
マンションが建っています。コート右手、もしくは
写真右下辺りに今の区立江東図書館が見えますので、
以前の敷地の大きさが分かると思います。
(その3へつづく また来週
)
その後、西は中野まで伸び、東は竹橋まで、次に大手町まで
そして東陽町まで伸び、ついに昭和44年に東陽町〜西船橋間が
新たに開通(全線開業)し、「南砂町」駅が誕生しました。
その後、昭和48年「トピレックプラザの歴史 その1」で
ご紹介した東京製造所を閉鎖することになります。
日本経済の成長が鈍くなるとほぼ同時にゴルフブームや
ジョギングブームが起こり、スポーツやレクリエーションに
人々の関心が高まっていった当時、閉鎖した工場の17,000坪の
敷地(比較として東京ドームは約14,000坪)を利用して
昭和50年に総合スポーツ施設「トピレックプラザ」が
オープンしました。世の中の余暇、レジャーブームに乗り
大いに賑わったそうです。
(写真は昭和50年)

<クリックすると少し大きくなります>
この写真の左側を上下に入っている道これが
葛西橋通りです。
写真上部、現在ドイト、ラウンドワンがあるあたりに
野球場のようなものが見えると思うのですが、
ナント
これゴルフ練習場なんです!デカい!そして下部に見えるテニスコート辺りには現在、
マンションが建っています。コート右手、もしくは
写真右下辺りに今の区立江東図書館が見えますので、
以前の敷地の大きさが分かると思います。
(その3へつづく また来週
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